ディズニー映画『塔の上のラプンツェル』の秘密
今回の記事を担当するのは、ちゃんたまだよ!
ディズニー映画『塔の上のラプンツェル』(原題:Tangled)って、本当に素敵な作品だよね。ランタンのシーンとか、何度見ても感動しちゃう。でも実は、この映画の元になったグリム童話って、ディズニー版とはかなり違う物語なんだ。
今日は、原作のグリム童話がどんな話だったのか、そしてディズニーがなぜあんなに大きく変更したのかを一緒に見ていこう!
そもそもグリム童話の『ラプンツェル』って?

グリム童話の『ラプンツェル』は、1812年にグリム兄弟が出版した『子どもと家庭のメルヘン集』に収録されているんだ。ただ、グリム兄弟が作った話じゃなくて、もっと古くから語り継がれてきた民話を彼らがまとめたものなんだよ。
ちなみに「ラプンツェル」っていう名前、実は植物の名前なんだって知ってた?ドイツ語で「ラプンツェル」は「ノヂシャ」っていうハーブの一種を指すんだ。この植物が物語の重要なきっかけになるんだよ。
原作のあらすじ:思ったより重い話
物語の始まり:野菜泥棒から始まる悲劇
物語は、子どもを待ち望んでいた夫婦から始まる。妊娠中の妻が、隣の庭に生えているラプンツェル(ハーブ)をどうしても食べたくなってしまうんだ。でもその庭は、強力な魔法を使う魔女のもの。
夫は妻のために庭に忍び込んでラプンツェルを盗むんだけど、案の定、魔女に見つかってしまう。そして魔女は言うんだ。「ラプンツェルは好きなだけ持っていっていい。その代わり、生まれてくる赤ん坊を私に渡しなさい」って。
夫は恐怖のあまり約束してしまい、赤ちゃんが生まれると魔女はその子を連れ去って「ラプンツェル」と名付けるんだ。野菜の名前で呼ばれるなんて、ちょっと切ないよね…
12歳で塔に閉じ込められる
ラプンツェルが12歳になると、魔女(ゴーテル)は彼女を森の中の塔に閉じ込めるんだ。階段もドアもない塔で、入る方法はラプンツェルの長い髪を窓から垂らしてもらうしかない。
魔女が訪れるたびに「ラプンツェル、ラプンツェル、髪を降ろしておくれ!」って呼びかけるんだよ。この呼びかけの言葉、実はドイツ語の古い詩の形式で書かれていて、グリム兄弟はこれを「この物語の古さを証明するもの」として大事にしていたんだって。
王子との出会い、そして…
ある日、森を通りかかった王子がラプンツェルの美しい歌声を聞いて、塔を訪れるようになる。彼は魔女のまねをして「髪を降ろして」と呼びかけ、ラプンツェルに会うんだ。
ラプンツェルは生まれて初めて男性を見て最初は怖がるんだけど、王子が優しく話しかけてくれたので心を開く。そして王子がプロポーズすると、「ゴーテルおばさんより、この若い王子の方が私を愛してくれるはず」と考えて、結婚の約束をするんだ。
でもここからが、原作のダークな部分。王子は毎晩塔を訪れるようになり、二人は親密な関係になる。そして…
1812年版の衝撃的な展開
ここからが重要なんだけど、グリム童話には1812年版と1857年版があって、内容が違うんだ。
1812年版では、ラプンツェルがうっかりゴーテルに「どうして服がきつくなってきたのかしら?」って聞いちゃうんだ。つまり、ラプンツェルは妊娠していたってこと。
でもこれが当時の読者に「子ども向けの話としてふさわしくない」って批判されたから、1857年版ではもっとマイルドな表現に変更されたんだよ。改訂版では「王子様はゴーテルおばさんより軽いのはなぜ?」って聞く形になってる。
悲劇の展開:失明と孤独
真実を知ったゴーテルは激怒して、ラプンツェルの髪を切り落とし、彼女を荒野に追放する。そして王子が訪れた時、切った髪を垂らして王子を塔に引き上げるんだ。
塔の上で待っていたのはラプンツェルじゃなくてゴーテル。ショックを受けた王子は絶望のあまり塔から飛び降りて、下にあったイバラの茂みに落ちて両目を失明してしまうんだ。
その後、王子は盲目のまま森をさまよい、木の実や草の根を食べて何年も生きる。一方、ラプンツェルは荒野で一人、双子の赤ちゃん(男の子と女の子)を出産して育てているんだ。
涙の奇跡とハッピーエンド
数年後、王子は偶然ラプンツェルの歌声を聞いて、荒野で再会する。ラプンツェルは王子だと気づいて泣き、その涙が王子の目に落ちると、目が見えるようになったんだ。
そして王子はラプンツェルと双子を連れて王国に帰り、幸せに暮らしましたとさ…というハッピーエンドなんだけど、そこに至るまでがかなりハードだよね。
ディズニー版『塔の上のラプンツェル』との大きな違い
①ラプンツェルの身分が違う
原作のラプンツェルは平民の娘だけど、ディズニー版では行方不明になった王国の王女なんだ。これってすごく大きな変更だよね。
ディズニー版では、魔法の花の力を持つラプンツェルが赤ちゃんの時にゴーテルに誘拐される設定。毎年誕生日に王国中からランタンが上がるのは、行方不明の王女を想ってのことなんだよ。
②ゴーテルの動機が明確
原作のゴーテルは、なぜラプンツェルを塔に閉じ込めたのかよくわからない。でもディズニー版では、ゴーテルが若さを保つためにラプンツェルの魔法の髪を独占したいっていう明確な動機があるんだ。
これによって、ゴーテルはただの怖い魔女じゃなくて、自分の若さのために他人の人生を犠牲にする「毒親」のような存在として描かれているんだよ。現代的なテーマだよね。
③王子じゃなくて泥棒
原作の相手役は王子様だけど、ディズニー版ではフリン・ライダー(本名ユージン・フィッツハーバート)っていう泥棒なんだ。
フリンは最初、ラプンツェルを利用しようとするんだけど、旅を通じて成長していく。「王子様に助けられる」じゃなくて、「お互いに助け合う」関係になるのが素敵だよね。
④性的要素と暴力の削除
これは当然だけど、ディズニー版では婚前の性的関係や妊娠、失明といった要素は完全に削除されているんだ。
代わりに、フリンがゴーテルに刺されて瀕死になり、ラプンツェルの涙の魔法で救われるっていう展開になってる。「涙が奇跡を起こす」という点では原作を踏襲しているけど、もっと子ども向けにアレンジされているんだね。
⑤ラプンツェル自身の成長物語
これが一番大きな違いかもしれない。原作のラプンツェルはかなり受動的なキャラクターなんだ。王子が来るのを待って、助けられるのを待って、運命に流されていく感じ。
でもディズニー版のラプンツェルは、自分の意志で塔を出て、自分の夢を追いかけるんだ。フライパンで戦ったり、自分で決断したり、とても主体的なキャラクターになってる。
「I’ve Got a Dream(自由への扉)」って曲の歌詞を思い出してみて。「いつか塔を出て、あのランタンを見に行く」って、自分の夢をはっきり持ってるんだよ。これは現代の女性像を反映した大きな変更だと思うんだ。
なぜディズニーはこんなに変更したの?
時代に合わせたヒロイン像
1812年のグリム童話が出版された時代と、2010年のディズニー映画が作られた時代では、女性の社会的立場が全然違うよね。
現代の観客は「塔で王子様を待つだけのお姫様」には共感しにくい。だからディズニーは、ラプンツェルを「自分で考え、自分で行動するヒロイン」に変えたんだ。
実際、ディズニーの制作陣は「受動的なキャラクターのままでは、現代の観客には受け入れられない」ってはっきり語ってるんだよ。
子ども向けとして適切な内容に
グリム童話って、元々は子ども向けに作られたものじゃなかったんだ。むしろ大人への教訓的な話だったり、民間伝承をそのまままとめたものだったりする。
だから、性的な要素や残酷な描写があっても不思議じゃない。でもディズニーは家族みんなで楽しめる映画を作りたかったから、そういった要素は削除する必要があったんだね。
普遍的なテーマへの昇華
ディズニー版が素晴らしいのは、ただ原作を薄めただけじゃなくて、現代に通じる普遍的なテーマを加えた点だと思うんだ。
たとえば、ゴーテルとラプンツェルの関係は「毒親」と「その支配から抜け出そうとする子ども」の物語として読めるよね。「あなたは外の世界では生きていけない」「私がいないとダメよ」っていうゴーテルの言葉は、実際の親子関係でも起こりうる心理的な支配なんだ。
そして、ラプンツェルが塔を出て、自分の目で世界を見て、自分の居場所を見つける過程は、誰もが経験する「自立」の物語でもあるんだよ。
原作を知ることで深まる映画の理解
こうして原作と比べてみると、ディズニーがどれだけ丁寧に物語を再構築したかがわかるよね。
原作のエッセンス(塔、長い髪、涙の奇跡)は残しつつ、現代の観客が共感できるキャラクターと、誰もが感動できるテーマを織り込んでいる。
もちろん、原作のダークで重厚な雰囲気も魅力的だし、決してディズニー版が「優れている」わけじゃない。どちらにもそれぞれの良さがあるんだよ。
でも、原作を知った上で『塔の上のラプンツェル』を見ると、「あ、ここは原作を残したんだ」「ここは現代風にアレンジしたんだ」って発見があって、もっと楽しめると思うんだ。
最後に
グリム童話の『ラプンツェル』は、思ったよりずっとダークで、大人向けの物語だったんだね。妊娠、失明、孤独な出産…ディズニーがなぜこんなに大きく変更したのか、よくわかったんじゃないかな。
でも同時に、ディズニーは原作の核心部分(自由への憧れ、愛の力、奇跡)はしっかり受け継いでいる。むしろ、それを現代に合わせて進化させたと言った方が正確かもしれないね。
次に『塔の上のラプンツェル』を見る時は、ぜひ原作のことを思い出してみて。きっと新しい発見があるはずだよ!

