
今回の考察、私が担当するわよ
なんでこの2つを比べるかと言うと、近年の「ぼんやりディズニー作品」代表作だからよ!!!

『ウィッシュ』と『ミラベル』どっちが面白い?比べたら明らかだった
ディズニー映画って、いつの時代も話題になるけど……最近の作品、ちょっと当たり外れが激しくない?
『アナ雪』『モアナ』といった名作が続いたかと思えば、「え、これは……」って首をかしげたくなるものも。
今回比較するのは2023年公開の『ウィッシュ』と、2021年の『ミラベルと魔法だらけの家(原題:Encanto)』。
両方観た? 私はもちろんどちらも映画館で観てきたけど、正直その時は、どちらもそんなに印象に残らなかった(正直)
でも、2025年になった現在、時を超えてもう一度どちらの作品も観てみたの。
2作品を立て続けに見てみたら、その差は歴然だった!!!!
率直な感想を言わせてもらうと、ミラベルの圧勝ね。
『ウィッシュ』の後に『ミラベル』を観返すと、その完成度に感動すら覚えるのよね。なぜそんな違いを感じるのか、今回はその理由を徹底的に語っていくわよ。
1. ギャグとミュージカルの「必然性」の違い
ここからはちょっと毒舌になるわよ。
まずね、ミュージカルの歌とディズニーアニメ特有のギャグは、入れればいいってもんじゃない!
曲は自然と物語に導いてくれるもの
まず、『ミラベル』って曲と物語の一体感がすごいの。
オープニングからキャラ紹介を兼ねた歌「The Family Madrigal」で一気に世界に引き込まれるじゃない?
しかも、ちゃんと状況やキャラクターの感情を歌で説明してくれてる。
ミュージカルって、感情があふれて言葉では伝えきれない時に歌になるのが王道よね。
その点『ミラベル』は、家族の中で“普通”であることへの葛藤を、ミュージカルを通じて自然に描いてるのよ。
ウィッシュのにわとりのシーンはなに?
それに比べて『ウィッシュ』の歌……主題歌は悪くない。むしろ、超好き。あれで映画館に行こうと思ったくらいよ。
でも、作品に歌が入った時、ミュージカルとして成り立っているか?
ウィッシュはその点で失敗していると思う。
ストーリーのテンポやキャラクターの心情にうまく溶け込んでない感じがして、ミュージカルの“魔法”が薄いの。まさに「急に歌い出す」感じ。ただ歌えばいいってもんじゃないのよ!と叫びたくなったわ。
特ににわとりのシーンはなに?
『美女と野獣』ルミエールの晩餐会の劣化版のような感じだけど…なんの内容もなかったわよね?
森の動物たちが歌い出すシーンもよく分からなかった。ロバも他の動物も急にしゃべり出したけど、それはあのサ○リオキャラクターみたいな星ちゃんの力よね? それが伝わらないわ。星がしゃべらないんだから誰か説明しなさいよ!!!そこのロバ!あんたはなんのために声をもらったのよ!
いらないギャグはいらない
ギャグにも同じ事が言える。ミラベルが失敗したりするギャグには個性の説明やストーリー上の必然性があるけど、ウィッシュにはそれが全くない。ただただかわいくて人気の出そうなキャラを並べて、ディズニー「っぽい」ギャグをやらせただけで、ストーリーにはなんの関係もない脱線だったわ。
『ズートピア』の高いギャグセンを見習って欲しいわね。
2. 悪役・葛藤の描写の深さ
次に気になるのがヴィランの描写。
厳密に言うと、『ミラベル』にはヴィランが出てこない。これはディズニー映画としては珍しい。だからキャラ的にヒットしなかったのかもしれないけれど…それは置いといて。
ミラベルで主役を葛藤させ苦しめる役としては、おばあちゃん(アルマ)が該当するの。だから、『ウィッシュ』のマグニフィコ王と『ミラベル』のおばあちゃんを比較させてもらうわ。
この2人、過去に悲劇を経験している点が共通しているの。
『ウィッシュ』マグニフィコ王の過去とは?
『ウィッシュ』のマグニフィコ王は恐らく過去に国を失うような経験をしている。だから、魔法で国を守ることに固執し始めた…だと思う。
なぜ、「だと思う」かと言うと、臭わせてるだけで回想シーンがないからよ。これじゃあヴィランであるマグニフィコ王の苦悩は伝わらない。
なぜ民の願いを奪い、支配することを選んだのか?
彼の過去や心の闇がちゃんと描かれないから、単なる「ちょっと悪そうな小者のおっちゃん」で終わってるの。
ディズニーヴィランには条件がある!
過去のディズニー強烈ヴィラン、マレフィセントやアースラも明確な過去を言ってはいない。回想シーンもない。
でも、彼らには強烈な悪役ビジュアルがある。出てきただけで、もう悪役だと分かる。純粋な「悪」として存在してるから、余計な説明を除いてもいいの。
でも、マグニフィコ王はどうか?
イケメン王とか言っているし、見た目は普通の威厳のある王様に見える。ならば!!ハンス王子のような「事情」が必要だし、説明もいるのよ。
ディズニーヴィランとしてコメディ路線なのかシリアス路線なのかどうかもよく分からなかったわ。
『ミラベル』おばあちゃんの過去は壮絶
それに対して、『ミラベル』のおばあちゃんはどう?
彼女はヴィランじゃないけれど、家族へのプレッシャーや伝統の重みに押しつぶされそうになってる姿が、リアルに描かれた。
終盤で描かれるおばあちゃんの過去の回想シーンは、恐ろしくて悲しくて胸がちぎれそうになった。侵略者に土地を奪われて、最愛の夫が犠牲になる…若かりし頃のおばあちゃんの泣き叫ぶ姿が頭から離れない。これについては、別記事で詳しく考察したわ。
「悲劇をくり返したくない」「家族を守るため」という動機があるからこそ、視聴者はストーリーや彼女の行動にも合点がいくのよ。
3. 民たちの民度が違いすぎる
映画って、“主人公だけが頑張る”時代は終わったのよね。
最近は、周囲の人々がどう支えるか、それによっても「感動の質」が決まるわけ。他映画で言うと、スターウォーズ9で一般市民隊が集まってきたり、アベンジャーズのエンドゲームでヒーローが全員集合したりするあれね!映画館で「うぉぉおー」って叫びたくなるヤツ。それで言うと…
ウィッシュの民度問題
『ウィッシュ』で一番共感できないのが、ロサスの国民たちなのよ!!!
あの民たち、願いを王に預けたまま他力本願なのよね。気楽になんの不満もなく暮らして「願いを叶えてーー♡」って言ってたくせに、王国を覆すアーシャの反乱にはすぐのっかっていく…アホなの?
願いも、宇宙船に乗ってるとか空を飛んでるとかそんなんばっかだったし…園児なの?「大きくなったら恐竜になりたい」みたいな、王様がいてもいなくても叶わない夢ばっかで呆れたわ。
一瞬でも「叶うかもしれない」という夢を見させてくれたマグニフィコ王に感謝すべきとまで思ってしまった。
ミラベルも同じかと思いきや?
実は見直しの順番は『ウィッシュ』→『ミラベル』という順番で見た。ウィッシュが悲惨だったから、ミラベルも見返そうと思ったのね。
ということで、ウィッシュの愚民たちにあきあきして、ミラベルに入ったから「お、ミラベルの村人たちも一緒か?」と思った。確かに最初は一緒なの、マドリガル家の魔法に頼り切ってる民たちにしか見えなかった。
でも『ミラベル』は違った!!
魔法が失われたマドリガル家を村の人たちが全員で再建しようとするシーンがあるのよ!!!
魔法の家が倒壊して希望がなくなった時に…村人たちが工具を持って歌いながら集まってくる。
あれよ! ああいうのに人は泣くの。支える側にもちゃんと意志があって、物語がある。
ミラベルの村の民たち、素敵じゃない。ラストにちゃんと裏切ってくれて、感動したわ。
4. 主人公の思いやり・性格
『ミラベル』のミラベルは「魔法を持たない子」として家族の中で浮いている存在。
でもその“普通さ”こそが物語の鍵。彼女の行動で家族が変わり、伝統が変わる。
ミラベルはおばあちゃんにないがしろにされていてかなり辛いけど、腐らずにどこまでもひたむき。最初は「あんまかわいくない主人公やな…」と正直思った(ごめん)けど、性格が良すぎて応援したくなっちゃった。
それと比べて『ウィッシュ』のアーシャも理想を信じて行動するのだけど、なんとなくミラベルとは行動原理が違うのよね…。
これは脚本が悪いと思う。主人公の葛藤や苦しみがないまま、急に行動に移るもんだから、アーシャの場合、野心にしか見えなかった。お気楽に暮らしてた女の子が自分のおじいちゃんの願いをないがしろにされたからって急にキレて、ラッキーで魔法の力を得たもんだから反乱を起こした。ようにしか見えなかった。
なんならアーシャ、実写版『白雪姫』と同じくらい性格悪そうに見えたわよ…。あれじゃ応援する気にならない。
ヴィランもぼんやりしてるし、かと言って、民も主人公も応援する気にならないんだから、最後は何をしてるのか分からなかった。一体、あたしは誰を応援すべきなのか(笑)
結論:『ウィッシュ』を観た後に『ミラベル』を観れば評価8割増し
『ウィッシュ』は、ディズニー100周年の記念作として打ち出されたけど、物語の深みでは『ミラベル』の圧勝だったわ…。
ミュージカルって、「なぜこの曲がここで流れるのか?」という必然性が大事なのよ。
『ミラベル』はその全てがうまく噛み合っていて、何度観ても発見がある。ムダなシーンもなかった。
『ウィッシュ』は第一印象は悪くなかった。「なんかぼんやりした映画だったな」と思っただけ。でも、こうして比べてみると全然だめね。“心に残る”ディズニー映画としては、もっと踏み込んだ描写が欲しかったわね。
だから、2025年の今、あたしは声を大にして言いたい。
『ミラベル』、あなたやっぱり名作だわよ。

3回観てやっと気づいてごめんなさいね