ミラベルのギフトって?おばあちゃんの辛い過去に作品のヒントあり!

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ミラベルのおばあちゃんアルマ
ディズニー公式サイトより

ディズニー映画『ミラベルと魔法だらけの家』の考察!

意地悪に見えたおばあちゃんの悲しい過去とは?あれは史実?
おばあちゃんに起こった奇跡と“呪い”とは?
ミラベルとおばあちゃんの絆とは?

『ミラベルと魔法だらけの家』は、ディズニーらしいカラフルで楽しいミュージカル…と思いきや、見れば見るほど“深い”物語でした。

なかでも特に心を打たれたのが、おばあちゃん・アルマの物語。

この記事では、ミラベルのおばあちゃん・アルマに光を当てて、映画『ミラベルと魔法だらけの家』を考察していきます。

ちゃんたま
ちゃんたま

マニアックなチョイスだね

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アルマおばあちゃんの悲しすぎる過去

映画の冒頭は、深刻な回想シーンから始まります。

「私たちは家を捨てて逃げなければならなかった」

この時点で詳細は分からないものの、マドリガル家に悲劇があり、その際に特別な魔法“奇跡”が授けられたんだと理解できます。

そして、映画の終盤。アルマはミラベルと一緒に川辺=夫ペドロを失った場所へ行きます。そこで、冒頭の詳細とも言えるような、おばあちゃんの回想シーンが再びあります。

敵が襲ってきて、夫ペドロは家族を守るため犠牲に…
泣き叫び、崩れる若い女性のアルマ…
このシーンは恐ろしく悲しすぎて胸がひきちぎれそうでした。

ディズニーでここまで悲しいシーンってありますか? ニモもカールじいさんもパートナーが亡くなるけど、泣き叫ぶようなシーンは…。CGアニメのキャラクターの表情であそこまで悲しみを表現されたのも初めてです。

おばあちゃんが失ったものと得たもの

アルマおばあちゃんは、土地を追われ、愛する夫ペドロを失うという、人生最大の悲劇を経験しました。

そのとき彼女が得たのが「奇跡(魔法)」でした。

でもそれは、「報われるための贈り物」ではなく、「希望を託された責任」のようなもの。生き残った者として、子供たちを1人で守らなくてはいけない立場になってしまいました。恐らく、おばあちゃんがまだ10,20代くらいの若い時に起こった悲劇です。

彼女は奇跡を信じることで生き延び、
生き延びるために、「役に立つ人間」になることを家族に課すようになりました。

子どもたちにも「村のために尽くせ」と言い、孫たちにも「ちゃんと魔法を発揮しなさい」と圧をかける。

ミラベルのように“何も持たない者”には無意識に距離を置く。

つまり、アルマにとって魔法とは「失ったものを埋める鎧」であり、「生き延びるための盾」だったのでしょう。決して「輝かしく優しい奇跡」なんかではなかった…。

むしろ、この奇跡は長年おばあちゃんの人格を変えてしまう“呪い”ですらあったと思うのです。

あの悲劇は史実…?

家族と村の人たちが武装した集団から逃げる場面は、明確には史実かどうか分かりません。

しかし、ミラベルの舞台の国はコロンビア。

実際、モデルとなったコロンビアでは1940〜60年代に「ラ・バイオレンシア」と呼ばれる内戦が起きており、多くの家族が家や命を失いました。

アルマも「大切なものを守れなかった痛み」を背負いながら、夫ペドロの死と引き換えに得た“魔法の奇跡”を、必死に守ろうとしていたのです。

なぜ「ギフトがない子」を受け入れられなかった?

ミラベルはマドリガル家で唯一「魔法のギフト」を持たずに生まれました。

彼女は決して怠けているわけではないし、家族を大切に思う心は誰よりも強い。

でもアルマは、ミラベルをどこか「使えない子」「失敗」のように扱ってしまいます。

なぜか?

それはアルマが、「誰かの役に立つことだけが生きる価値」だと信じていたから。

全てを失った彼女にとって、「魔法」は家族の命綱であり、存在価値そのものでした。

だからこそ、“役に立たない存在”を認めるのが怖かったのです。

おばあちゃんにも「魔法の力」はない

おばあちゃんは奇跡的に生き延び、魔法の力を授かりましたが、授かったのは娘や子孫。おばあちゃん本人ではありません。

ここがまたこの奇跡の残酷なところで、全てを失ったおばあちゃんには何も与えられていないのです。

だから、アルマおばあちゃんが家族を守る方法は、みんなをしっかりさせることのみ。子供や孫たちに「しっかりして家族と村を守れ」と言うしか手段がありません。

ミラベルから目を背けるアルマおばあちゃんは、実は、彼女自身がまだ「ギフトのない自分」を赦せていなかったんですね。

川辺の再訪:アルマの“赦し”の瞬間

物語の後半、魔法の家が崩れ去ったあと、アルマとミラベルはかつて夫ペドロを失った川辺に戻ります。

先ほども書いた悲しい回想シーンですが、このシーンこそが、アルマにとって最も大切な“過去の傷の癒やし”の場面。

彼女はようやく、ミラベルに向かってこう言います。

「私は間違っていた。奇跡を傷つけていたのは私だったの。」(※要約。吹替や字幕とは異なることがあります)

長年封じ込めていた痛みと向き合い、初めて「正しくなければならない」という鎧を脱ぐ瞬間。

アルマが“家族を守る者”から、“ただの家族の一員”に戻れた瞬間でした。

そして、自分を許せたからこそ、ミラベルと向き合うこともできたのですね。

ミラベルの「ギフト」は何?

物語のラスト、魔法が消えた家は村人たちの手によって再建されます。

そこには“魔法の力”はないけれど、誰かの役に立たなくてもいい、自由で温かい家族の絆がありました。

そして完成した家のドアの中央に描かれたのは、ミラベルの姿。

彼女は「奇跡を持たない者」ではなく、家族の痛みに気づき、癒やし、再びつなぐ者」として、真の奇跡の中心に立っていたのです。

でも、結局、ミラベルの「ギフト」は何だったのでしょうか?

ミラベルはおばあちゃんを引き継ぐ者なのでは?

ミラベルのギフトが何だったか明確な説明はありませんでした。

ここからは私の考察ですが、ミラベルは「魔法を守る者」「家を守る者」として、マドリガル家の魔法そのものを守る役割があったのだと思います。それこそがミラベルが授かったギフト。

そう、アルマおばあちゃんと一緒です。アルマは自身は魔法を持ちませんが、奇跡を授かったのはアルマ。

ミラベルのこの家主のような役割は、ミラベルがギフトをもらえなかった幼少期の時点で、すでに決まっていたのでしょう。つまり、誰も気づかなかっただけで、ミラベルは一番責任重大なギフトを本当はもらっていたのです。

だから、家族を守る者として、姉のイザベラやおばあちゃんと仲直りしなくてはいけなかった。

アルマおばあちゃんとミラベルの共通点

魔法の家を動かせるのはアルマとミラベルだけです!

ミラベルは最初から家に問いかけたりしている描写があります。そうすると窓やドア、家具たちがミラベルに応えてくれる。

この時点でミラベルのギフトってこれ(家)なんじゃね?と、ちょっと思いましたが、最初は確信がありませんでした。ただの「魔法の家」の描写かとも思ったのです。

でも、アルマも食事会で椅子を自由に動かすような芸当を見せています。一方、他の家族は特殊技能があるけれどそういった描写はなかったように思います。

物語ラストで、アルマとミラベルの和解、ミラベルがドアノブに触り魔法をよみがえらせるところで、やっと納得がいきました!

アルマというキャラクターの深み

アルマは、いわば“家族のヴィラン”のように見える瞬間もあります。

そう、『ミラベルと魔法だらけの家』には明らかなディズニーヴィランが出てこないのです。これはとても珍しい。

あの代わり、主人公を苦しめ葛藤させる者としておばあちゃんのアルマが存在しています。アルマはミラベルを「不良品」のように扱い、無視する。最初の方はシンデレラの継母のような人間的なヴィランです。

ルイーサは力に押し潰されそうで、
イサベラは“理想の娘”を演じて苦しみ、
ブルーノは予言で疎まれて家を出た。

アルマが築いた“魔法の家族”は、実は「壊れる寸前」だった。だけど彼女だけがそれに気づいていなかった。

でもアルマおばあちゃんの正体は、ヴィランではなく、「愛ゆえに間違えた人」でした。

魔法を守ろうとしたのは、家族を失いたくなかったから。
厳しくあろうとしたのは、自分自身の弱さが怖かったから。
ミラベルを遠ざけたのは、自分の弱さの象徴のような存在だから。さらには、自分が持てなかった“赦し”という素質を彼女が持っていたからかもしれません。

アルマは、ミラベルと向き合い、“呪いのように抱えていた責任”を手放すことで、ようやく救われたのです。

最後に:ミラベルは観れば観るほど深い映画

「ギフト」は英語圏では「才能」という意味で使ったりもします。

『ミラベルと魔法だらけの家』は、「特別な才能があってもなくても、家族は家族」というメッセージにとどまらず、愛するために自分を認めて赦す物語でもあります。

「自分には何もない」と感じるときこそ、あなたの元々の素質が、誰かにとっての奇跡になるかもしれません。

自分や相手を許すことで、自分もみんなも救われるかもしれないのです。

ちゃんたま
ちゃんたま

実は『ウィッシュ』と『ミラベル』を最近改めて見直し、『ミラベル』の素晴らしさを改めて実感しました。

良作駄作も問わず(笑)、ディズニー映画の見直しっていいものですぞ!

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